町医者ホンネ日記 4
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2004年 1月4日 七支刀
謹賀新年、みなさま今年もよろしく!!
今年は連載がないので・・・依頼はあったがある先生に全面的にお願いしちゃった・・・
まじめに更新をしようと思っている。
さて
今日、奈良国立博物館で石神(いそのかみ)神宮の至宝、七支刀をみてきた。もう、7年連続、奈良の寺社に初詣に行っているのだ。例年と違って温暖だ。去年長谷寺にお参りした時、粉雪で震え上がったのと全然違う。
猿沢の池のほとりのベンチに座って、般若湯をチビチビやりながら、ぼんやりと緑色の池水を眺めていた。
ふと思う、
『 去年は家庭も健康も顧みる余裕もなく産業医学の仕事に明け暮れていたな・・・・物事、度が過ぎてしまうと、予想とは違ったことが起こるのだな・・・今年は余裕を持ってプライベートを大事にしよう! 』
と新年の決意を新たにした。
というのも、去年の初詣では、元旦からポケットPCを使って連載の原稿をシコシコ書いていた。いにしえの人の警句は解っていたはずだ・・・このままでは年末まで追われてしまうぞ!
健康を害するばかりか、やがて良い仕事ができなくなっちゃう!!・・・だ、大好きなメンタルヘルスの仕事が・・と思っているうちに・・・
講演や執筆でお客様や読者の皆様に、お示ししている産業医学のイロハが、わが身に当てはまってしまったのだ・・10月中旬に、右足の小指の付け根の骨(第5中足骨)を骨折してしまった。本当に恥ずかしいことなのだけれど、事実だから隠せない。A社B事業所の講演では、恥ずかしながら、会場までの階段を総務の方におんぶしていただいた(本当に重かったでしょう、スイマセン!!)。それで奮起して210分のほとんどは、右足のすねを椅子にのっけて立って講演。
「先生、座ってください!」 と注意されても、すぐ忘れてしまってついついリキが入って立ってしまった。
でもでも、いくら根性があったところで、お客様にそういう所をお見せしてしまうのは、恥ずかしいことなのだ。
で、新年の思いを新たにして、石神神宮の至宝を見た。5世紀の宝だという。
ワーキングパワ−の洗濯だった。
11月24日 認知療法と美女の弁証法
1)ドイツ風のメンタルヘルス
哲学のお勉強をするのは、メンタルヘルスを研究する上でとても大事なことだ。
たとえば、70年代まで盛んだった実存分析なんか、かのテレンバッハの 「メランコリー」や、アルフレート・クラウスの「躁うつ病と対人行動」なんか、今読んでみると難解だけれど、役に立つ。こういったドイツの精神病学は、その後、米国流の定量的な心理学的方法にとって替わられてしまったけれど、臨床の現場で、とりわけ復職の前後に行う認知行動療法をする上で示唆に富む。
2)極端な二分思考
認知行動療法のうちで、とりわけ大事なのは、弁証法的行動療法(Google検索で517項目もある)だ。人格障害や、気分障害、それからパニック障害に苦しむ人々はものの考え方に特有なものがあって、そのひとつが極端な二分法思考だ。
たとえば対人関係は、自分にとって善か悪のいずれかで、その中間がない。
「A先生はようやく巡り合った理想的なドクター、B君は元カレだけれどろくでもない男で、自立心に欠ける人ね・・・。昨日、結婚式で出会った薬剤師のC君は、もう目くるめくパッションを感じさせる理想の人。アタシはどうしようもない女で、誰からも理解してもらえないけれど、カレは、そんなアタシに欠落しているものを付け加えて、完璧な女にしてくれるはず、絶対!」という風に出会う人や、自分、人生上の出来事を良い悪いのいずれかで塗り上げてしまう。可愛さあまって憎さ百倍とか、愛する人へのアンビバレントな思いを、そのまま保つことができない。
あるいは、うつ病になりやすい人は、自分自身に悪いレッテルを貼ってしまう。いつまでたってもダメなアタシ。とか、「運命に翻弄される弱い俺」とか。あるいは、「全か無か」で考えがち。「今度の大会で2位だったら負けも同じだ!」というスポーツマンや「集会に20人しか来てもらえなかったから失敗したも同然だ・・・」という労組役員もいる。
産業保健職の中にも、厳しい経営下での従業員の健康診断の結果を見て、「お先真っ暗だわ、でも、この人たちを守って挙げられるのはアタシ一人」という悲壮な覚悟でいる方もいて、方に力が入ってしまい、燃え尽きるリスクもありえる。
こういう極端な二分思考と反対にあるのが、「人生何事も塞翁が馬」の教訓で、これが胸に落ちるようになれば、メンタル不全から回復できるのだ。
3)物事の二面性
認知行動療法で大事な弁証法とは、簡単で「待てば回路の日和あり」「人生何事も塞翁が馬」「急がば回れ」「楽あれば苦あり」「可愛さあまって憎さ百倍」ということわざの世界だ。
絶対的な愛はなく、愛するカレシが、幼なじみの女性と昔を語り合っていれば嫉妬と時には怒りや寂しさを感じるはずだ。歳をとって、今はこの世にいない母親の、暗い過去を知ったとしても、ショックではあってもやがては理解できるはずだろう。弱さも強さも持ち合わせているのが人間であって、白黒、赤白のどっちかではなく、灰色やピンク色があるわけだ。
とりわけメンタル不全の人にとって、極端な二分思考を克服することが、ストレスを抱え込まないポイントとなる。ものも考えようであって、考え方を変えれば気が楽になるというわけ。
4)笑い話
管理人の例で言えば、2ヶ月前、JRで5時間半もかかる事業所へ講演にいくことになった。「そんな長い時間、座席に縮こまっているためにはジーンズとTシャツしかないな」というわけで、リュックサックに加えて、スーツやネクタイの入ったハンガーケースを手にして「のぞみ」に乗った。
夜7時過ぎO駅で降りてみると、何か体がスースーして軽い。発車するのぞみを眺めながら乗り換えのためにホームの階段を下りようとした瞬間、ハンガーケースを網棚におきわすれた事に気づいた。
いくらなんでもジーンズとTシャツで講演するわけにはいかない。公演なら良いだろうが。
真っ青になって、O駅地下街に走っていって紳士服の店を探した。一軒あって閉店前に間に合った。けどそこは、20代のお兄さんが着るようなものばかりで、お客も10〜20代。こんなオジサン向きが無いことだけは確かだった。だからといって上場企業の管理職相手にジーンズでよい訳はない。無理やり大枚はたいてスーツとネクタイ、ワイシャツを買った。
嗚々! こんなことがなければシグマリオンVとMP3オーディオが買えたのに・・・と自分のバカさ加減に悔いが押し寄せてくる。しかも、わが短足には裾上げが必要なのだけれど、時間的にはムリで、両面テープを買って、ホテルで自分で裾あげした。
明日の講演の準備もできずズボンの裾によったシワに苦笑してしまったけれど、こんな事がない限り、おしゃれとは無縁だったなと自分を慰めてみた。小男というコンプレックスが強烈だったから、独りで服を買うなどということは絶対にイヤで、事実、この10年スーツを新調したことはない。
だけどこの失敗で、「何だ! 簡単ジャン!」と買い物もストレスではなくなった。
人生何事も塞翁が馬!
5)美女の哲学
次はピエール・ルイスの「アフロディテ」(沓掛良彦 訳 平凡社ライブラリー)
の序文なんだけど、物事というものには矛盾する2つの面があって、それが分かちがたく結びついていることを、ギリシャ神話の女神を例に示している。
オデュッセウスがある日デルフォイの山裾で狩をしながら歩きまわっていた。とその時、彼は途上で手をとりあっている二人の乙女に出会った。一人は董色の髪、透き通った眼、重々しげな唇を持っていて、彼に言った。「わたしはアレテ(徳)です。」もう一人は弱々しげな瞼とほっそりした手とやわらかい胸を持っていて、彼に言った。「わたしはトリユフェ (柔弱)です。」そして二人とも言葉を継いで言った。
「わたしたちのどちらかを選んでください。」しかし明敏なオデュッセウスは賢明にもこう答えた。
「どうして私に選ぶことができようか。あなたがたは切り離すことができない存在なのだ。あなたがたのどちらかが、もう一人を伴わずに通り行くのを見た眼があるとすれば、それは不毛な影をとらえたにすぎない。真撃な徳というものが、官能がもたらす永遠のよろこび無しではいないように、柔弱さもまた何ほどかは魂の偉大さを備えていないとまずかろう。私はあなたがた二人に付き従うこととしよう。私に道を教えて欲しい。」彼がそう言い終わるやいなや、二人の乙女の姿は一つに溶け合ってしまい、オデュッセウスは、自分が話しかけたのが偉大な女神アフロディテであることを知った。
同じような状況に遭遇(ああ、もてる男はいいなあ!)して、ヘラクレスだかはアレテちゃんだけを選んだらしい。二分思考だったヘラクレスは、アマゾンたち、金のりんご、巨人たちに対して大罪を犯すことになってしまった(ストレスを背負っちゃった!)。
弁証法的な思考ができたオデュッセウスは、ストレスを乗り越えることができた。
なあんちゃって!! ここまでお読みの方、お疲れ様
9月27日 親指が腱鞘炎!
参ってしまった! 親指の付け根が痛くなってきて、ガクガクするのだ。これは愛機のポケットPCJornada568を使いすぎたからだ。厳密にはポケットキーボードを365日毎日うち続けたからだ。
私は手のひらサイズのパソコン、ポケットPC(名前はポケピー杏丸という)を、身にまとうように持ち歩いている。インターネットやメールはもちろん、小柳ゆきを聴いたり、録画したテレビドラマも見ることもできる。5〜6年前のデスクトップパソコンと同じ働きができて、しかも速い。
それより何よりキーボードがついているから、何でもその場で入力できちゃう。三度の食事と同じくらいに文章書くのが好きだから、病院のトイレで日記も書けば、ビジネスマンにインタビューしている時も、その場で入力しちゃう。飲み会の席で面白い話が聴けると、恥も外聞もなく「ゴメン、書かせて!」。
ひらめいたことや感じた事、構想やアイデアの断片、誰かにもらったヒント、月並みに見えて次の時代を感じさせる爽やかなエピソード、腹の立つことや情けなかったこと、明け方みた奇想天外な夢のあらすじ、日記、ホームページ、連載、講演原稿などを含めれば毎年30万字は入力している。2000〜3000字程度の原稿なら推敲もできるし、いよいよとなれば締め切りが3日しかなくても書けるよ、って感じ。
で、その結果が今の状態で産業医の不養生といえてしまう。
大原美術館本館の階段踊り場からみた風景
6月5日 書名が決まった!!
新著の書名は「製造現場のためのメンタルヘルス」
(社)日本プラントメンテナンス協会発行です。
管理人が心をこめて、どの職種のビジネスパースンがお読みいただいても
十分にご理解いただけるよう書きました。
とりわけ 製造現場の管理職と人事労務のみなさまが対象です。
ポイントは、医学知識の解説だけではなく、
@メンタルヘルスと生産性の両方が向上できるマネジメントのノウハウと
Aスタッフが整っている事業所だけでなく、マンパワーが不足している職場ですぐに役立つ方法を具体的に書きました。
メンタルヘルス本は138冊もあるそうですが、類書は病気の解説や気の持ち方、癒し方をのべたものが、ほとんど。もちろんこれらはとても大事です・・・
でも本書は現場の管理職と人事労務の方が、メンタルヘルスについて自然体で理解し、特別な知識がなくても・・・寝ころんで読めて、しかも実践できるノウハウを書きつくしました!
書店だけでなく、WEB上でも購入できます。
7月20日ころ発売で、価格は1800円+税
5月25日 新著、乞うご期待!!
8月に (社)日本プラントメンテナンス協会・・・(社)日本能率協会の子法人で発行予定の
「製造業の管理職のためのメンタルヘルス入門」(仮題)、どんどんガバチョと進んでおりますぞ!
3週間ほど前はもうろうでござったが、今は「ホットマン」見ながらの校正でござる。
ながら仕事はふとどき千万! とお怒りなさいますな! 拙者、ガキの頃よりそーゆーのが得意でござった。
中1の春休み、ガキのくせして昼メロみながら、真空管ラジオ作っており候。
勿論、みすず先生(矢田亜希子 姫)に見惚れる事禁忌ではございますが。
奇怪千万なことに掻けば、否、書けば書くほどスピードがアップする由、考え申すに、
これこそ熟練と気づき候。もちろん小説を書くのとは違い、アレコレの文章が全く違うのではござらん。
産業医学という学問には、もはや定説も多々ございますし、その引用はみな同じ。
またかつて自分の書き貯めたる文章をCOPY&PASTEいたし、「てにをは」を整えるのでござる。
自分の書いた文章とはいえ、未発表ゆえ、当然引用可能でござる。
拙者、日記等を含めて月に45000字を書き申す。
それみなJornada568のお蔭でござる。
にき(日記)といふても、幼子が「けふは朝顔が咲きました」などと日々の生活体験をしるすものとは違うて、印象、感想。仮説、想念、愛、憎しみ、アイデア、反省、驚き、怒り、あるいは事実、時によりては予想、推測、たまには文学(絵空事)をも、すなはち拙者の心のスクリーンに映りたるものの森羅万象を書くのでござる。
それが正しきことか否かを検証するのは、拙者の経験部分は少なく、大部分は講演においでいただく聴衆の皆様、あるいはこのコンテンツをご覧されている網利用者(ネットサーファー)の経験と実感でござる。別にアクセス数にはこだわりませぬ。そうなれば齷齪(あくせく)するばかり。
正しく入手しがたい情報をば、タダで提供するのは拙者の奉仕の心ではなくして、産業医学の面白さ、有用さを皆様にも体感していただきたいからでござる。はっきり申し上げれば面白半分も手伝っておるのです。
うつ病とか自死(自殺)などという重いテーマだからといって、重々しく書くのは本当の人生ではございませぬ。自死された方の人生にも、当然のことながら面白く、やりがいのあった刻(とき)があったのでござる。
ねるとんを見て笑ったこともあったはず。
それをばすべて、暗く否定的に書くのは、世を去りたる人を一面的に描いておるのにすぎませぬ。
自死したる人たちの人生の中に、楽しく輝き、面白く生きていた時があったからこそ、それゆえ自死という行為が決定的な悲劇であるのでござる。
まあ、難しい理屈はさておき、医者だとか研究者だといっても、肩肘張って生きるのは実に愚かしいのであって、亜希子姫を愛でたり、料理をしたりする拙者の日々の事実を、ただお示しする「ありのまま」が好きなのでござる。
さてさて明日もはよから会議に外来ゆえ、この辺りにて筆ならぬキーを留め置くことにいたそう。
5月3日 執筆*でもうろう日記
ああ、もう眠い!
ああ、眠れぬ! AM3時38分執筆でヒートアップしている。
小柳ゆきcを聴きたくなっちゃう。
ああ、しんどい。
比内地鳥のスープで固めの蕎麦を食ってみたい。!
完全徹夜であったが、Jornada568の辞書の設定が変わって変換が容易になったようだ。なぜかというと
IME98標準辞書をぶっこんでしまったのである。
Jornada568 (悲しい、もうとっくに製造中止)というのはポケットPC2002というプラットフォーム(OS)にしている。そのIMEは何というかトロい。たとえばHigh Schoolの「こうこう」と入力して変換すると高候、高香、高甲、高講、高慌とか、もうありえない単語が先頭にいくつも出てくるので、何回もスペースキーを押さなきゃなんない〜。
「IMEは僅か880KBなのだから仕方がないっか?」と思うのだけれど、しんどいよね! 締め切りが迫っている時に、親指が腱鞘炎になってしまいそうだ。
で、昔買ったWord98から標準辞書(6.77MB)をコピーして、IME98pと名前を変えて、ポケピーのWINDOWSフォルダに貼り付けたあと、IME98sと改名するだけで良かった。
すさまじく変換効率が改善して自由に文書が作成できるようになった。
僭称、簒奪、焦燥感、躁鬱病、軽妙洒脱、古今東西、秋霜烈日、心窩部、丁丁発止、青天白日、画竜点睛、在外邦人まで一発変換(それぞれ、読めますか? けいみょうしゅだつ、ではないっす)。
何となんと、このポケピーは急に賢くなってしまった。
馬鹿げた徹夜の結果、執筆が予定の3割に終わったとしても、お釣りがくる。
気まぐれに、入力する・・・桐壺、葵上、細雪、常磐津、鹿鳴館、西郷隆盛、中大兄皇子・・・おお何でも来いだ!・・・でも、さすがに紺巧妙四天王護国寺(奈良の大仏さんの本名は金光明四天王護国寺)は一発変換できなかったが、正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)や立正安国論まで変換可能だ。
坪内逍遥や十返舎一九、さても上田秋成(あ、吉備津の釜、夏海磯良cのファンです)などの文学者の名前まででるし、6.77MBはやはりたいしたものだ。
あなうれし!
でもこんなこと書いていいのかなあ?
*CM