暑中お見舞い申し上げます・・・・・・・・・・・暑中二京ヲ旅ス


                                                          2004年9月3日 更新

1.黄檗宗万福寺

 京都で異国を体感しようと思えば、黄檗宗万福寺以外にはありえない。

このお寺は、江戸時代初期に中国の僧隠元禅師*によって開かれました。

 


*隠元=インゲン豆

 

 俳句に『山門をいづれば日本ぞ茶摘み唄』…万福寺の山門を出たとたん、ああここは日本だったのか、

茶摘み唄が聞こえているもんね!…というほど中国風なのです。

 

 

現代人にとって、木造の伽藍(がらん=建物)を眺めても、一見しただけでは和風も中国風も区別がつかないかもしれません。

そんな私達でも境内を少し散策すれば、普通のお寺さんとの違いが目に付くようになります。





 
こんな勾欄をみれば、ラーメンの模様に似ているし…

卍くずしといいます・・・お坊さんたちの読経は明(みん)の発音といいます。

 




この大雄宝殿の窓に後姿の見える人物は遠い昔のインドに実在した

羅怙羅尊者(ラゴラ)というお釈迦さまのお弟子さん。

十八羅漢のお一人です。

 
でも何だか怪獣の名前みたい!!





隠元禅師 いわく

 

『人は萬物の霊たりこの時覚らずんば更に何れの時をか待たん』

 

スズキ風に解釈すれば

 

 人間はすべての生きとし生けるもの中で、本質的なものを見抜ける存在です。  

 人間に生まれた今覚らなければ、いつ覚ることができるというのでしょう。

 他のどんな生き物に輪廻転生した時まで待てというのですか?

 

さらに意訳すれば

 人間である時の**を良く生きて、この宇宙・世界について知ろうではありませんか。

 

*もちろんローランドゴリラもオーストラロピテクスも、彼らなりに自然と世界を認識できたのですが、人類のほうが全面的に把握できるのです。

 

 

**『今、ここ』を大事にすることは、メンタルヘルスの面でも基本なのですね。

米国のカウンセリングの真髄は「今、ここ」=NOW HERE 

『あの時、ああすれば良かった、もしあの時、あんな選択をしなければ、こんな思いはしなかったろうに』と、過去をあれこれ思いつめても、変わらない。

 今の自分で、いいジャンと思ったとき、肩の荷が下りるというわけ。

 

さて、敷石を眺めれば、和風のセッティングではないことが判るでしょう。


ダイヤモンド型の敷石










大雄宝殿の前には、このように小さな石が敷き詰められ、月台と呼ばれています。

つねに月の光を受けるようになっているそうです。

画面左の長方形の石は、ルールを破ったお坊さんを座らせて無言というペナルティーを与える

梵壇石(ぼんだんせき)といいます。私もお喋りだから、時々座ったほうが良いのかも。

 
傾聴には多言は無用なのです。





 そして、大雄宝殿の暗い壁にあいた丸い窓から

緑が逆光に見えるというのも、お洒落です。


なぜ丸い窓かといえば、角がないという禅の極致

表しているのですね。













この木魚、ゴキゲンな顔をしているでしょう? 


たたいてお食事時をしらせるのです。

 

 



私は御朱印帖に書いてくれたお坊さんと一時間近く話し込んでしまいました。

 

玄奘三蔵法師からインターネット社会の著作権問題まで。

 

 

 

2.神護寺・高山寺

 神護寺に至る道は初めはハイキングコースみたいでのんきでしたが、

参道は急な石階段で汗だくです。まだ9時過ぎと早いためか

あるいは盛夏のせいなのか境内に人はほとんどいません。

たまに60歳代の老夫婦(幸せそう!)が視野に入るていど。

 

 さて、昼食は古典風に


 鮎の塩焼きを食して神護寺の楓を眺め、薬師如来に礼拝し、高山寺につきました。

 

まさに暑中涼あり、です。

 

 

 



3.健気に瓦け投げ

神護寺の本堂ではブルーの携帯を持った若い坊さんが、お寺グッズを売っていました。

国宝の源頼朝、平重盛の肖像画など、たくさんの国宝があるはずなのに、宝物館はありません。

5月1日から5日まで、期間限定のお宝なのです。

それでもわが一族の繁栄と長寿、わが学業の発展を薬師如来に祈って、


お札と学業成就のお守りを買いました。


私は苦しい時もそうでないときも神仏頼みというか、

研究のためには神も仏も動員しちゃいますので。

 

本道を背にして階段越しに眺める構図が絵葉書にもなっている位で、

とてもキレイでした。


何枚もデジカメで撮りましたが、次第に汗だくになって

めまいがして座り込みたくなってそうしました。





ところが、「かわらけなげ」=瓦投げの場所は本当に絶景で、

近くの杉の森は明るい緑なのに、遠くに目を向けるにつれ、樹木と山並みが薄蒼くなっていって、

そのグラデーションが心地よいのです。


 空の青は真夏の快晴なのに不思議と光は柔らかい。


それは多分標高が高いためなのでしょう。 




投げるのはこんな可愛い瓦ちゃんです!

高山寺はお庭が有名なのですが、私は祈りをささげる子どもの彫像が気に入りました。
















 







帰りの
JRバスには30分以上間が合ったので、ミルク金時を食べました。

その時詠んだ漢詩のつもり

 

涼風揺楓葉

古寺未遥也

暑中食氷水

我喉喜玲瓏

 

涼風ハ楓葉ヲ揺ラシ

古寺、未ダ遥カナリ

暑中二氷水を食スレバ

我ガ喉ハ玲瓏ヲ喜ブ

 

なんちゃって。

 

こんな風に非日常を体感することが、私の充電法です。

 

御注意!

去年の八月は、ある神社でホワイトアウトしてしまいました。夏の京は半端な暑さではありません。十分な水分を摂取するだけではなく、日中戸外のウォーキングは程ほどにしましょう。

 
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