病気になった責任は?

                               
安全配慮義務って何?

日常、当たり前に考えていることが、実はわが身を滅ぼすファクターのひとつだったということが、健康問題ではよくあります。20年前は当然だった考えも、この大競争時代、わが身ばかりか職場を狂わす時代遅れの発想になっているのかもしれません。
 新人のころから知らず知らずのうちに骨の髄まで叩き込まれた、「自己責任」というコトバ。
ビジネスマンにとって激変の時代、健康に関する「自己責任」については、ふかく吟味する必要がありますね!
 「理屈っぽい!」などとといわずに、自分の命に関することだから、読んでみてくださいネ!
結論からいうと、事業者の「安全配慮義務」が十分達せられている条件下でなければ、健康管理の自己責任などありえないのです。


健康管理の自己責任論と安全配慮義務  


  仕事と病気の関係は微妙な問題を抱えています。「命は地球より重い」などという半面、少しの熱くらいで休むのは他人に迷惑をかけるから恥ずかしい、という社会人(会社人?)としてのモラルが優先されます。たとえば優秀なラインマンならば、腰が痛くて整形外科に通っているとしても、技術者としてのプライドからなかなか言いだせないでしょう。なにより、ビジネスマンなら誰でも「仕事のせいで病気になった」などとは思わないないものです。まして過労でうつ病になったとしても、仕事のせいだとは考えたくもないもの。

  競争がすべての市場経済の社会では病気を自覚することはともかく、それを表明することは自分の弱点をがあからさまにすることであり、人事考課の面で健康管理責任をとわれ不利になるのです。だから「セールスレディであるならば、自分の営業能力と会社のおカネとを交換するのがビジネスなんだから、彼女がいくら気の遠くなりそうなひどい生理痛に悩んでたって、それを理由に休まれたらあたし達がたまらないワ。」とか「俺なんか10時過ぎまで残って、それから家で二時間パソコンに向かっても何ともないぜ。ノイローゼになるなんてお気の毒に(密かな優越感)」挙句の果ては「病気になるのはその人が悪いのだ!」という風潮が職場では多い。
いうなれば
競争社会の中では心身ともに強いという仮面をかぶって生きていかざるをえないのです。

こういった健康管理の自己責任論、いや病気の個人責任論は三重に誤っています。
 社員、職員同士で足を引っ張り合う思想ともいえます。

(1)医学的な誤り
 すべての病気は体の内側にある原因(内因)と外側にある原因(外因)とが、複雑に絡み合っておこるのです。花粉症でいえば内因はアレルギー体質、外因は花粉。病気によっては内因と外因の重みに差があります。たとえば遺伝子病は内因がほとんどで、日射病など外因(環境)がすべて。メンタルヘルスの悪化もこの両者が関係しているため、その人の遺伝や体質の責任に転嫁はできないのです。

(2)社会通念的な誤り
 だれかの健康の管理責任を問う場合、相手にその権限と情報を与えなければならないのです。ビジネスにおける「責任」には当然、権限と情報がついて回るはずです。健康管理の権限とは何でしょうか? それは病気の予防や治療にかかわる時間が保たれていることでしょう。

  @健康管理の権限がないこと
 サービス残業を余儀なくされ、夜間診療にもいけないビジネスマンが多いのですが、こういう人たちに健康管理の自己責任を問うことは無意味です。仮に通院のために月に半日休んでも、人事考課に響かないと明言されているのに病気が悪化したとなれば責任を問われますが・・・。何よりもサービス残業のため帰宅が10時以降のビジネスマンは、ワーキングパワ−を会社と職場のために無償で提供しているわけで、市場経済の原理を踏み外しているともいえます。自己管理をしようにも不可能な状態で、それを互いに求め合うのは原理的に不可能です。

  A情報が与えられていないこと
 欧米では、ビジネスマンに対してさまざまな医療情報サービスが無償に近い形で提供されています。政府が職業ごとの自殺防止マニュアルを配布している国もあります。なぜそうするのかといえば、コストが安くつくから。メンタルヘルス対策も、管理職を相手にするだけではなく、全スタッフを相手にしたほうが、結局は安上がりになるのに。

(3)安全配慮義務
 事業者は労働者(公務員を含む)の生命、身体、健康の安全を保護すべき法的な義務がある、というのがいわゆる「安全配慮義務」です。メンタルヘルスヘルスの分野では、電通の過労自殺裁判の最高裁判決(ここをクリック)でも明示されているものです。 これに違反して労働者の生命、身体、健康の安全を損なえば損害賠償ということになります。しかも最高裁はかつての判決で「危険が予見可能である限りは、事業主は具体的な結果を回避する措置を回避する処置を講じなければいけない義務」までも求めています。これは事故だけでなく病気もあてはまります。
 万全の処置とはいかないけれど、およそ危険が予測可能な事例は、万全の処置を講じるに近い限りの形の「安全配慮義務」が事業者に求められるようになってきています。

 この法律論は過労死裁判の第一人者である岡村 親宣弁護士の「『安全配慮義務』の法理とその活用」という京都府高等学校教職員組合のパンフレットに懇切丁寧に書かれています。


 夜11時まで働ざるをえない糖尿病のビジネスマンにたいして、いくら医者が患者としての責任を説いたところで病気は良くなりません。人間のからだの仕組みはこのようには設計されていないのです。
 以上のように、「自分の体は自分で管理せよ」というのは善意ではあるけれど非科学的な見解なのです。


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