生産性とメンタルヘルス 下 困るのはビジネス精神論 |
2002年12月21日更新
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「職場のメンタルヘルスがとことんわかる本」でも書きましたが、
生産性のよりどころをサイエンスではなく、
旧軍*的な精神論に求める考えがあります。
*子どものころ、少年マガジンやサンデーの特集で、血沸き胸躍りました。
特殊偵察機、彩雲とか、紫電改、隼、一式陸攻、菊花、ああ懐かしい
ちなみに管理人の十八番は「加藤隼戦闘隊」です。
それは、たしかに感性に訴えるため判りやすいのだけれど・・・。
「そんなことも判らないのか!!」「そんな奴は辞めてもらってもいいのだ!」とか
「お前らのようなのは足手まといだ!」
@そういうのは、大競争時代下の「巨人の星」(手に汗握りましたな)の世界
50歳代の管理職は巨人の星で育ったので、ビジネスも「血の汗流せ涙を拭くな、行け行け飛勇馬(?)」というわけで、ジャパニーズドリームを叶えるのは根性、だと確信を持っていたのです。でもそれは、高度経済成長下の、のどかな時代でした。
いまは成果主義の時代で、じっと我慢していても、良い結果が生まれるわけではないのです。
今は
「君は、もっとEmployabilityを持ちなさい!!(綴り間違っている鴨! 要はリストラされても、違うところで働ける能力)」という世界だから。
皆がやっているというので、ともかく上半身を成果主義というアメリカ由来のドライな評価制度に切り替えた。
だけど、下半身はウェット(笑)で、旧時代の産業人意識と文化のままです。
かなり人為的につくった賃金雇用制度と自然発生的な職場文化というものの間に
ギャップがあるのは当たり前ですが、これを古き良き「巨人の星」で乗り越えようとする矛盾。
Aある小売業で
会社というものは、年がら年中キャンペーンを張っています。
皆さんは次のA、Bどちらの上司の下で働きたいですか??
例えば、あなたが「なんで年がら年中キャンペーンがあるのですか?」と素朴な疑問をぶつけたとします。
A氏「俺も若い頃そうおもっていた。おお、それこそ基本的な、大事なことだ。
そういう疑問を持つことも大事だぞ。キャンペーンというものは、そもそもな、、、」
B氏「お前、馬鹿じゃないのか! そんなことも判らんのか、C子以下だ!」
情けないのは「みんなやってるのだ。やらないと会社もお前も生き残れないのだ。」
B部活をしていたころに・・・
例えばあなたが監督に「なんで、こんなに走りこまなきゃならないんですか?」と素朴な疑問をぶつけたとします。
A監督「俺も選手の頃、そう思ったときがあったよ。でもこの競技は結局は持久力で決まるんだ。
でもただ走るだけではいかんぞ。呼吸が大事なのだ!」
B監督「馬鹿やろう、そんなことも判らんのか、俺の言った事は黙ってやれ!」
旧軍の理性的な山本五十六氏は、
「@やって見せ、Aさせて教えて、B褒めて育てよ」という意味のことをおっしゃっていました。
部下を育てるというエッセンスが短いセンテンスの中に盛り込まれていますね。
最近の上司はとりわけ、@Bが欠けています。
C中国の話しを聴くのは嫌なことかもしれませんが、、、
20年後GDPで日本を追い越すといわれる中国。
おととしの夏、第一汽車(First mobile)の見学に行きました。
もちろんjust in timeで生産していますが、そこの秘書室長の方から直接聞きました・・・。
儒教文化で親を大事にする文化が健在なので、両親の誕生日は早引きするか年休が堂々と取れる!!!
とらないビジネスマンは親不孝者と思われるのです。
そういう会社なら家族は安心し、従業員は自社を誇りに思うので、頑張って働いちゃう。
「そんな事は日本では不可能だ!」といって、目を吊り上げている会社は、中国に勝てる訳がない!・・・と管理人は思いますね。
大競争時代にこそ、新しい職場文化が必要です。
良きライバル、良き同僚という関係が保てなくなると、
レギュラーの座をめぐって、不正やいじめが起こることと同様に、、、
職場のチーム力(広義にはチームのワーキングパワ−)が落ちていきます。
不正なトリックによる営業成績の申告、職場のいじめ。
D職場の学校化
成果主義といえば格好良いけれども、ひょっとして職場が「学校」になっていないでしょうか?
総ての日本人にとって通信簿の世界は非常に判りやすいといえます。
第2の本能といえる個人の点数主義は、誰をも叱咤できる半面、強烈な副作用をもたらす恐れがあります。
要するに、チーム力が落ちて個人の利害が組織の利益に優先してしまうリスクです。たとえば
「このノウハウをこいつに教えたら、俺の取りえがなくなってしまう」
だからといって安易にグループをつくって、個人の成績を合計するという目標管理をする場合、メンテナンスをしないと大変なことになる。
小売りのある店舗の事例
副店長以下、全スタッフの合意(?)で「足手まといの歌」を作詞作曲して、目標を達成できなかったグループの、個人ワースト2の二人に朝礼で歌わせています。役員が驚いて店長に問い合わせたら、「皆で決めたことだから良いのでは」
ここには組織の生産性を、個人成績の合計と考える非科学的な発想があります。
善意ではあっても、人格を傷つける管理は、自分自身と会社を傷つけるのです。
今は非常に厳しい時代ですから、そういう会社という組織の尊厳を傷つけるという間違い(安全配慮義務違反)はなくしたいものです。
「そういう奴はいらない、だれそれ以下だ(他人との比較)」惨めさをバネにしてがんばるようなマゾヒストの部下なら別ですが。
けれども、ついそうやってしまうのは、なぜでしょうか?
E学校主義
大競争時代なのに、指導のし方はマゾヒスト的精神主義。
それは古い小中学校の部活的教育法(?)を実践しているからです。
成果主義は受験競争時代の本能をそのまま使える、というメリットがデメリットになるのです。
*けれども大学や専門学校では、「学歴や出身校は役立たない。会社の現場で即戦力になりうる資格を取れ!」となっています。
部活的=「巨人の星」的指導で、否定的な表現で叱咤激励したつもりになってしまう。
お受験ママと同じ
「見て、ママ80点とったよ!」
「あら、こんどはもっとがんばって100点とるのよ!!」
あるいは体罰が心罰つまりは言葉の暴力になってしまう。
繰り返しになりますが・・・「教えたはずだ、こんな事もわからんのか?(そういう自分が判っていないから)」
心罰を与えられた方のダメージについては誰もがおわかりでしょうが、実は与えたほうも惨めな気持ちになってしまうのです。
高度経済成長の時代はこれでも良かった。
お互い我慢して勤め上げれば、管理職になれる年功序列の時代だったから。
更に悪いのは叱咤激励しているつもりで、部下や同僚のがんばりや、存在意義を否定してしまう心罰。
「お前はもう要らない」「売れない奴はそこから飛び降りてもいいんだぞ!」
これは組織に大打撃を与えます。
ヒトが組織にくっついていたいという本能は、生存本能にも匹敵するのです。
たとえば自殺したいという人間には「命を粗末にしないでくれ」というよりも、
「会社は君を必要としている、死なないでくれ!」
と言われた方が死を思いとどまる可能性が高いのです。
なぜ精神論的な、否定的な言動で指導するのがまずいのかといえば、
メンタルヘルスの面だけではなく、指導するべき上司が感情的になって我を忘れてしい、
肝心の会社の利益というものを見失っているから。
何よりも部下を大事にすること、部下の個性豊かなワーキングパワ−を育てること、
今は荒削りで、未熟なものであっても
若い人こそ、斬新な、時代を開く発想をするのです!!
生産性向上の芽を摘み取ってしまわないように・・・
そういう上司は管理職の外観をしていても、感情的で個人プレイしか頭にない、
スタッフと同じレベル、いやスタッフ以下といえましょう。
F基本を説明し納得させる能力
管理職になった自分を基準にして、相手に求めたところで上手くは行かないのです。
前述の山本五十六氏の、「@やって見せ、Aさせて教えて、B褒めて育てよ」がポイントです。
部下には、とりわけミッションの意義を、うまずたゆまず解説する習慣をもちましょう。
そのためにはトップの方針をしっかり把握できていること。
G部下のがんばりを認めてやること
「8つ誉めて2つを指導する」 「陰で誉めてみる」 以上がポイントです。
一見、否定的な結果の中にすら、新しいアイデアや創造が紛れこんでいるかもしれません。
スタッフは皆ギリギリのところでがんばっているから、そうそう新しい発見をする余裕はないのです。
その上に、管理職が我を忘れて、目をつり上がらせて部下を罵倒した場合、、、
即、指揮官のいない部隊になってしまう。ビジネス大競争は間違いなく敗北です。
これでは大競争時代を勝ち抜くどころか、あなたと会社の存続を揺るがせるかもしれないのです。
一緒にいたい職場から排除するような、
部下に疎外感を与える言動*は会社の経営資源を破壊する最低の行為です。
この点では、マネージメントそのものにリスク管理の面があるのです。
*セネカの諌言集
汝が他人になしたる事は、他人も汝になすものと思え。
Hワーキングパワ−と生産性(チョッと大黒摩季、難しいかもしれないけどポイント!!)
売上を増やす方法には2種類あります。
それには勤務時間を長くする方法と、ビジネスの集中力を高めるものとがあります。
クルマの走行に例えれば、売上を走行距離とすれば
1)長い時間走ること
2)スピードアップすること
になります。
管理人は狭い意味の生産性向上とは、スピードアップであると考えています。
ここでドライバーの運転能力とガソリンとがワーキングパワ−に相当するわけです。
渋滞している道を走るのではなく、混んでも空いてもいない高速道路を走ると考えてみましょう。
夕方から3時間も走り続ければ、ガソリンが減ってくる。
腹も空けば肩もこるし、尻や腰も疲れてくる。
何より集中力が落ちてくるから熱いコーヒーでも飲みたくなるわけです。
これが10時間の走行となれば、プロのドライバーでもない限り、集中力は低下するどころか、
運転することに飽きてくるし、眠くもなってくる。
ビジネスを高速道路の運転にたとえるなんて乱暴だ、とお思いかもしれません。
確かに在庫がなくなりそうなくらいに重点商品が売れればたまらない達成感もある。
生き物である人間にとってはけれどもワーキングパワ−の消耗と疲労とい現象は、
総ての事業活動に当てはまるのです。
さて、長時間休みなく運転して、集中力が落ちた場合どうなるでしょうか?
前後に注意してアクセルを踏み込み何台も追い越していくのは難しくなりますね。
高速道路での追い越しというのは、ただ走っているのに比べて、
テクニックを使う複雑、より高度な運転技術です。
つまり長い時間勤務しているほど、
追い越しという技術すなわちドライビングパワ−の発揮=高速消費は難しくなります。
その上管理職の場合、部下をマネージメントし、上司と折衝するという、
さらに複雑で高度な仕事をしなければなりません。
マネジメントというワーキングパワ−の消費ですね。
それは高速道路で追い越しをする以上に、集中力を高める必要があります。
度を越した*長時間勤務の場合当然のことですが、
複雑で高度であるべきマネージメント業務は、だんだん粗雑になってくるのです。
*どこが度になるかは、その人のワーキングパワ−の質と量によって決まる。
つまりは個人差が大きいから、自分にできたからといって、他人もできるとは限らない・
指揮官は兵隊ではないので、これは大変なことになってしまう!
指揮、命令、点検、監視、教育、メンテナンスが粗雑になれば、スタッフの個性がむき出しになっていき、
システムは乱雑になり、生産性は低下していくのです。
メンタルヘルスと生産性(上)で述べたように、ITの進歩でマネージメントの生産性が向上しました。
けれどマネージメントそのものが不要になるわけではないのです。
確かに中間管理職を減らせる可能性が生まれたけれど、それを実現するためには大きな山を越えなければなりません。
業務マニュアルの完備や、リスク対応のシステム、例外的な事態が生じたときの対処手順など、
ITというハードに加えてマニュアルというソフトが必要です。
しかもこのマニュアルはPC上のソフトではありません。
それを実行するのは人間というオフラインのスタッフですから。
スタッフに複雑で高度な仕事させるにはマニュアルも複雑難解にならざるを得ず、
職能教育を徹底することが欠かせません。
マネージメントという複雑で高度な仕事をPC&ネットワークとマニュアルに置きかえるのは、
人間の思考を低レベルのPCに任せるのと同じこと。
管理人はPCオタクですから、今のPC(ネットワークサーバーにせよ)は蚊ほどの知能もないことがわかります。
記憶力は抜群ですが、ただそれだけ。
AI(人工頭脳 artificial inteligence)というもんは、未だ原始時代で、
今の技術ではきわめて限定されたものにならざるを得ません。
WEBやネットワークサーバーが後継者を決めてくれるわけではない。
仮に業績を数値化したとしても、それは現時点の能力であって、
将来性までは予測できません。
管理にくらべて、さらに高度な知的活動である経営とは比べようもありませんが、
マネージメントは高級な業務なのです。
とりわけクレーム対応やリスク管理のような定型的ではない仕事には、
経験はもとより、瞬時の判断、紋切り型ではない臨機応変の発想などが必要です。
パニックにならず平常心を保つ克己心や集中力が不可欠。
これは、感情を抑える大脳皮質の高度な働きが必要。
非常事態には、誰にも辺縁系(大脳の深い場所、爬虫類の脳)という場所が興奮して
不安や怒りが生じます。こういう反応を大脳の表面にある場所が抑えるはずなのですが・・・。
疲労や睡眠不足、空腹や体調不良など、ワーキングパワ−の消耗状態では、
こういう働きが不充分になってパニックってしまうのです。
だからこそ、管理職の第一の任務は自分のワーキングパワ−を十分に充電しておくことです。
不充分な充電でも平気だというワーキングパワ−の有り余った類稀な方でも、3人分の仕事をすれば同じ事です。
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