年配専業主婦のストレス
                                     2002年 3月10日
75歳、女性。
高血圧症と、軽い糖尿病で通院中の方です。
一か月前、一過性脳虚血発作*という病気で二時間ほど続く左半身麻痺を起こし、生まれて初めて入院というものを体験したかたです。
幸い、脳梗塞にはならず検査も含めて三週間で退院できたのです。回診のたび明るい声で「先生、すごく楽になりました。」とずいぶん感謝された事が印象に残っています。麻痺の症状は、入院したときには既に消えていたのです。「ハテ、何が楽になったのだろう。」ふと疑問が胸をかすめましたが時の流れは早く、その日は退院後一週間目の診察でした。

 *一時的に脳の血液の流れが滞り、意識障害や麻痺が数時間起こる病気。本格的な脳梗塞の前触れのこともある。


「どうだいぐあいは?」
「それがもう、こわくてこわくてどうにもならん。入院してるときはいかったんですけど」
「三週間も入院してると体がなまって、おうちに帰ってから、こわくなるんですよ。」
実際お年寄りでは、入院する事で寝たきりにまではならなくても、足腰の筋力が衰え家庭に復帰してから「だるさ」を訴える人が多いのです。それ以前の生活に戻っていく過程で、次第によくなっていくものです。ただし、家族が勘違いをして、「すっかり良くなるまでは無理をさせない」つもりで、布団に寝かせておくと、本当に寝たきりになってしまいます。
「だんだん良くなるけれど、大事にし過ぎてもいけないよ。多少こわくても横にはならず、入院する前のように、普通に過ごしていた方がいい。」
「そうすか」といったきり、それ以上何も言わずその日はかえって行きました。

次の週、
「やっぱり先生、こわくてたまらん。いや、こわいのには訳がある。わしはこの年になって入院して初めて思ったんだげど、
何のために生きているというんだろうね。」

 いきなり哲学的な問いかけです。私は口をはさまず聞き役に徹しました(傾聴)。

「あたりかかって(脳梗塞になりかかって)入院したな。病院にいたときは上げ膳、下げ膳で楽だったよ。ただ寝てればよかった。それが退院したらもうその日からおさんどんだよ。先生、あたりかかってようやく良くなったこのわしが、家事仕事みんなやってるんだよ。
 ご飯つくるのがおっくうでね。おじいちゃんと娘は生物(魚介類)しか食べない。中学生の孫は何でも食べるけど肉のほうが好き。娘とおじいちゃんは好みに合わせたおかずにしないとうるさい。それも毎日三度三度だよ。廉売(魚専門のマーケットのこと)行くのが神経使う。

 
娘は夜も遅く、掃除もしないし仕事から帰っても何もせんでゴロゴロしとる。おじいちゃんはわがままでどうにもならん。そういうのを見てるとイライラしてくる。ほんと、こんな年になって重い病気してからも皆の世話せねばならんとは、そろそろ引退させてけれの世界だ。」
入院中もほがらかで強気だった彼女がうっすらと涙をうかべて。

 実は、入院前も現在も彼女は現役バリバリの専業主婦だったのです。
家族構成は、それなりに健康な三歳年上の夫、34歳の離婚してスナック勤めの娘とその息子(15歳)。入院の時には夫と娘がついてきてずいぶん心配そうにしていたものでした。ごく普通の家族に見えましたが・・・

「先生。一生の頼みがあるんだけど。こんな事お願いして悪いとは思うけど。」
「どうしました?」

「娘に、もう少しわしのことを大事にするよう言って欲しい。でなきゃあ、身体がもたんです。」
彼女はおそらく入院中に考えたでしょう。
「自分のいない間誰が家事仕事をしているのだろうか? 多分、娘だろうが・・・
ひとりづつ三食ごとに好みのメニューを出すなんて大変なこと、よくもまあいままでやってこれたもんだ。もちろん娘にも手伝って欲しかったけど、あの子は夜の仕事で疲れきっていることだし、わしがやるほかなかったんだ。でも、入院するほどの病気をしたんだから今度はいくらあの子だって手伝ってくれるだろう。おじいちゃんと孫も、少しは気を使ってくれるだろう。」

ところが、退院後の現実はそうではなかったようです。前と同じで、娘は何もしない、夫と孫は文句ばかり。

「いったい、皆は儂のことをなんだと思ってているんだ!! ああそれにしても、やみあがりの体に、家事仕事は辛い、身体はこわいわ・・・・もうどうにでもなれ。」

 このような家族への非難の場合、相手の(特に娘)話もきいてみないと片手落ちになります。翌日、娘さんに来てもらい話を聴きました。
「・・・(自分も困っているかのように)おばあちゃんには、無理しないように言ってあるんですけどね。私が(家事を)手伝おうとすると嫌がるんです。昔からガンコな人で・・・」
どうも双方の言っている事は食い違っているようでした。

 一応、娘さんには母親である患者さんの言葉を伝えましたが、納得の行かない様子でした。
その後毎週、家族の「仕打ち」にたいするグチが続いていましたが、それもいつしか消えて行きました。
四カ月ほど経ってからようやく

「お陰さまでこのごろはたいへん良くなりました。」
「ご飯支度は苦になりませんか?」
「はい、そりゃめんどうだけど、わしがやらねばどうにもならないから。ま、せめて娘が茶碗洗いぐらいしてくれればいいけどね。」
「からだのこわさは(だるさ)?」
「幾らかあるけど我慢できます。」
「かあさん(患者さんのこと)がいないと、おうちが成り立たないんでしょ。一家の大黒柱だね。」というと
「そうそう。そのとおりだよ。」ようやく専業主婦に心身ともに復帰したようです。話声も大きく張りがあり、その顔には誇りと自信すらうかがわれます。一家を支える主婦としての大事な役割を再認識したのでしょう。

 途中くよくよしなくなる薬(抗うつ薬)を処方しましたが、それが効いたかは定かではありません。家事仕事の協力体制ができたとは思えません。ただいえることは、収入といえば娘の収入と微々たる年金というきびしい家計のなかで、これからも彼女は主婦という大きな役割をはたさざるをえないということ。

 お年寄りにとって家庭で何かの役割を果たすというのは、心身の健康を保つ上でとても大切です。
彼女の場合はた目にはそれが度をすぎているようにもみえますが、結果的にはそれが良かったのでしょう。頭と体を動かさざるを得ないためボケるひまはない、毎日が厳しいリハビリの日々(ちなみに料理というものは、脳のはたらきを保つうえで非常に効果的です)。
皮肉なことに、そんな一見過酷な家庭環境が彼女にはプラスにはたらいたのです。
自分の体の症状をあれこれクヨクヨ考える暇もなく毎日がすぎていく、齢をとっても家事仕事で現役の主婦を続ける意味はなかなかのものです。

 ところでこの患者の「だるさ」はこれで解決ではありませんでした。
ある春の日のことです。
「今日は先生、いつもの診察の日じゃないけど、めまいしてしょうないのできた。」

 ここしばらく元気で過ごしていたのにどうしたのでしょう。私はつい思いました。・・・しょせん高血圧と糖尿病で、一過性脳虚血発作をおこすぐらいだから相当脳の血管は動脈硬化をおこしているだろうな。MRA*で見たら血管の壁はギザギザで、けっこう狭くなっているだろう。椎骨脳底動脈循環不全**だろうな。血液の流れを増やす点滴とめまい止めを出すか?・・・・・

 *MRA核磁気共鳴という装置で、X線を使わず磁石の力でからだのあらゆる断面を移す装置をMRIといい、MRAはその装置をつかって造影剤を使わず全く負担なく脳などの内臓の血管をうつしだす(血管造影)方法。

**椎骨脳底動脈循環不全 後頭部の脳の血管を流れる血液の量が減る病気でめまいがおこり老人に多い。

診察の結果、幸いひどい状態ではなく、二・三日点滴をすればよいほどでした。けれど私は、頭の血の流れが原因でめまいをおこす患者には、病気の種類に関わらず、朝食を食べるかどうかかならずきくことにしています。

「00さんは、朝ご飯をちゃんと食べますか?」
「食べません、牛乳なら一杯のみますけど。」
「前からそうなの?」
「はい。朝はみんなのご飯したくやらの世話で忙しいし・・・ウン、それもあるけど朝はあまりものを食べたくないんです。」

ここで彼女の食生活を確認しました。
朝目がさめるのは五時、一時間ぐらい布団の中でぼーっとしている。
それから家族の食事の準備などをして、八時頃にのどがかわくので牛乳をコップに一杯のむ。十一時過ぎにようやく朝昼兼用の食事をとる。
6時には夕食をたべるが、その後は何も口にせず十時頃に眠りにつく。
六時以降、十七時間のあいだ口にするのは牛乳一杯。これでは午前中は脱水状態に近いといえます。彼女は先にも書きましたように、「現役の主婦」で午前中寝ているわけではありません。作業の強度は大したことはなくても、同じ仕事を三十歳の主婦がやるのとはわけがちがうはずです。
私は、彼女に朝食を食べる習慣をつけるよう説明しました。

「でも先生、朝みんなが食べているとき自分が食べるひまはないし、何より朝は胃がわるくて食べたくないのです。」
そんなことわかっているが、できない、という不満げな顔つきでした。
私は彼女のプライドに訴えることにしました。

「だけど00さんは、主婦でしょ。あなたが倒れたら世話するひといなくなって皆たいへんでしょ。前の日の六時から次の日の11時過ぎまで、おなかにはいるのが牛乳一杯だけじゃ身体は参ってしまうよ。
00さん、まえもよく目眩をおこしたんでしょう?」

「はいそうです。」
「めまいおこすのは、朝ご飯食べないからだよ。食べるのが無理なら、せめて牛乳を3杯のんでごらん(そんなことは無理ですが)。めまいおこさないようになるよ。」
実際、その日のめまいはかるくすみ、ことなきをえました。二週後の診察のとき、少し恐い顔をしてたずねました。

「00さん、牛乳三杯のんでるかい?」
「牛乳は一杯です。けどあれからよく考えて、ご飯食べるようにしました。」

さらに二週後朝食のことをたずねました。
「先生の言うとおりにしたんですよ。牛乳のほかにお握りつくって、おかずは自分ひとりだから(娘はまだ寝ている・孫は学校・夫は自室ですきなことをやっている)、大したもんじゃないけど。」
「ウン、それでいい、それで。で、めまいはどう?」
「あれからおこりません、それに・・・」なにか考えているようすです。
「それに・・・・なんだか前よりこわく(だるく)なくなった、です。・・・・先生、朝ご飯は大事なもんなんですね。」

参考 「朝食抜きの破局」について
 朝食をとらない結果どうなるか・・・
私は、朝コーヒーしかのまないけれど平気だ、という若いひとは多いでしょう。

 人間の身体のしくみで大事なもののひとつは、脳へ流れる血液の量を一定に保つことです。脳は人間の内臓の中で最も酸素と栄養を必要とするぜいたくな内臓なので−脳への血液の流れが五秒止まればヒトは失神します−つねにたっぷりとした血液の流れを必要とします。しかも動物と比べてヒトは立って歩くため、その高さの分までも、からだは工夫をしなければなりません。つまり足に流れようとする血液の量をおさえ、脳に流れる量を保つしくみを。子供ではこのしくみがまだ未熟なので、朝礼などでぐあいがわるくなって倒れる子供がいるわけです。

 一方お年寄りでは高血圧や糖尿病の結果、脳の血管が動脈硬化のため細くなったりします。あるいは心臓病などで脈が乱れ(不整脈)たりするとこのしくみが不十分になり、脳のすみずみまで十分血液が流れにくくなることがあります。そのようなときの症状のひとつとして、めまいがあります。
 つまり脳の血液の流れが不十分になりやすい年齢・病気のばあい朝食をとらないと、めまいが起こりやすくなるのです。午前中は、脱水状態に近くなり血液の量は減り、ねばっこくなります。当然脳のすみずみまで流れにくくなるけれども、「からだ」というものは必死になってそんな悪条件の中でも脳の血液の流れを保とうとします。保たれているあいだは何もおこらないし、何も感じません。つまりそんな「からだ」の苦労など、その持ち主にはわからないのです。

 しかし、もしこれ以上負担がかかったら? 

脳の血が流れにくくなる病気で、「朝食抜き」そのうえさらに何かが加わったら・・・
例えば、
風邪で少し熱がでて、知らないまに汗をかいて、さらに水分がへったとしたら。
あるいはたまたま先週は早死にした妹の33回忌で、昔のことを思い出しているうちに夜眠れなくなり、調子が悪くなってかかりつけ病院に行った。
長く待たされるうちにいらいらして血圧が上がってきた。
あわてんぼうの医者がびっくりして血圧を下げる薬を追加し、その日は気持ちは落ちついたけれど、血圧も下がりすぎたとしたら? 
そうなったら脳の血液の流れは保たれません。めまいがおこります。

めまい→転倒→骨折→寝たきり→肺炎そして死亡。
朝食抜きが間接的にせよ、こんな図式をひきおこすことは十分ありえます。これを私なりに「朝食抜きの破局」と名付けました。お年寄りにとって、骨折(特に足)というのは恐ろしい病気です。歩けなくなると寝たきりになりやすいのです。