「自己破壊傾向」
2002年1月11日
昼下がり、救急隊からの連絡があって、駅で苦しんでいる若い女性を搬送するとのこと。
聞けば当院で管理しているはずの喘息患者さんであった。はず、というのは近頃発作を繰り返し、二ヶ月前にも気胸*を合併して入院していたのだ。
カルテを見れば二週間も受診を中断していた。
*重い喘息発作で肺に穴があいたこと。
喘息の救急搬入となればテンションが高まる。
重積発作は心肺停止の危険が大なのだ!!
案の定、チアノーゼが出始めて言葉もしゃべれない状態であった。
研修医も含め医師4人がかりで対応した。
血液ガス分析(動脈から採血する)をするとやはりpH6.735というひどいアシドーシスだ(血液が酸性になって心臓停止が迫っているきわめて危険な状態)。PCO2は78もある(炭酸ガスが正常の倍)。酸素飽和度は85%と目をそむけたいデータだ。
ルートを確保しつつ(点滴をすること)気管内挿管をしたものの、アンビューバッグ(人工呼吸に使うゴムでできた手動ポンプ)を押す手には抵抗があり、気道の狭窄がひどい。
いやな予感がした瞬間に心室細動となり、あっという間に心停止だ!
反射的に心臓マッサージを始めた。
自分の口の中が一挙に渇き、動悸が激しくなる。
泣き叫ぶ母親の顔が眼に浮かんでくる・・・・
・・・動け! 動け心臓よ! 今止まるのは早すぎるぞ! こんな所で止まる事は断じて許せん!・・・
祈りが通じたのか、若い心臓は再び動き始めた!
患者も医者も若かった。気合を入れて行った心マッサージが肺に作用して、気道に詰まった痰を動かしたのだろう。 アンビューを押す時の抵抗まで軽くなり、ようやく酸素飽和度も90数パーセントとなった。
夜、もう一度詳しく診察した。
フルチカゾンの登場で喘息患者の予後は大幅に良くなっている時代に、モデルにもなれそうな、今風のほっそりした患者は、いったいなぜ重積発作を繰り返すというのだ?
レスピレーター(電動式の人工呼吸器)で病状は安定し、何の苦痛もなく眠り続ける彼女の鼻梁は形よく、日中とは打って変わって頬は薄化粧したかのような桜色。
よく見ると、左の手首に細長い傷あとが3本ある。
片時も離れられない母親に事情を聴いた。まだ19歳の患者は、つい最近離婚したばかりで実家で母親と暮らしていた。夫の暴力に耐えかねたというが、離婚後は遊び歩いていたそうだ。
きちんと薬を飲まない娘に母親はたびたび説教をしていたが、患者は聴く耳を持たない。
「先生からも強く言ってください! 粉の吸入(フルチカゾン)だって使わないで、ほうりっ放しです。あたしが夫と別れたことを今でも許してくれないんです。この子をちゃんと育てようと無理して仕事を掛け持ちしてきたけど、かえってそれがあだになったのでしょうね、ちゃんとかまってやれなかったから。」
嗚咽する母親にティッシュペーパーを渡した。
抜管後(人工呼吸器をはずすこと)、ようやく患者と会話が交わせるようになった。
「何で粉の吸入やらないの?」
「あれ使わなきゃ駄目なの? 嫌〜 だってえ、苦いんだもの・・・ 」
整った容姿とはミスマッチな子どもっぽい返答で、いささか投げやりである。
こんな命にかかわる重積発作を繰り返しているのに、真剣さに乏しい。
強く副作用のある吸入ばかりを、一時しのぎに使っていることは間違いなかった。
これで謎が解けた!
愛情不足で育った子どもは、乳幼児期に母親から大事な機能を取り込むことができない。すなわち自分に自信を持ち、大事に思い、身体を大切にするという人間に不可欠な働きが形成されていないのだ。
自殺学の大家であるマルツバーガーによれば、そういう人は自己破壊傾向を持っているという。
これは無意識的な自殺志向で、危険な行為を平気でおかしたり、危うく命にかかわるような交通事故を繰り返すのだ(事故傾性)。運の強い人ではなく、危険な運転を平気でするという点で自己破壊傾向なのである。
これの事はもちろん医療にも当てはまる。たとえば重症の糖尿病でも意に介さず治療に無頓着であるとか、検診で重病が疑われているのに受診しない人たちがそうなのである。
自分の身体を大事にしないばかりか、強い自己嫌悪を抱いている。反面、一人でいることの寂しさに耐える能力が育っておらず、アルコールや薬物、性の依存をきたしやく、ライフイベントのストレスに対処できずにメンタルヘルスの悪化をきたすこともある。
だからこういう人々に対し、「自分の命をどう思っているのだ?」 などと説教したり、「今のままではでは命の保証はできない」などと恫喝するのは逆効果である。
強い孤独感をもつ寂しがり屋だから、むしろ「あなたの困難をできるかぎり支えましょう。 一緒に考えていきましょう」というような支援の手を差し伸べるという姿勢で療養指導する必要がある。
自殺者3万人超の時代、自己破壊傾向に要注意!